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by kinop-37p

「戦争のおろかさ」 ー初めて語る、おやじの被爆体験ー

きのぴーは、被爆2世なんよ。 じゃが、親父の被爆体験は今まで全然聞かされんかった。
去年、孫の小学校で被爆体験をされた方に話してもらうという事で、小学生を前に話した内容が文集として家に置いてあった。 こりゃー、みんなに伝えにゃーいけんと言う事で、原爆の日でもある今日ブログに載っけました。








「戦争のおろかさ」

 私は、原爆のことはあまりしゃべりたくないんです。生々しいので・・・

 昭和16年の12月4日、太平洋戦争が始まった年に受験して広島市立商業中学にはいりました。そのころは、義務教育で小学校とその上の高等科に通わないといけなくて、自分から旧制中学に受験して入ったんです。戦争中だったからか、勉強はまったくできなくて、土木工事をずっと手作業でやっていました。入学してから、今の西飛行場の北側にある総合グラウンドは私達がつくったんです。そのグラウンド開きは、太平洋戦争が始まった、12月8日だったからわすれもしません。

 それから、2年生になって呉にある海軍工廠(かいぐんこうしょう・今の大和ミュージアムがある所)に学徒動員がかけられ、阿賀の寮から通っていました。

 そのころ、広島では、兵隊の兵器廠(へいきしょう・兵器をつくる所)や被服所(兵隊さんの服をつくる所)や糧秣所(りょうまつしょ・缶詰をつくる所)があったんです。また当時は冷蔵庫は無く、兵隊さんの食べ物はほとんど、缶詰であったようです。缶詰だったら保存も利くし、持ち運びにも便利です。

 当時、東京や大阪などは、アメリカの飛行機がいっぱい飛んでいました。油脂しょう弾(中に油をふくんだ爆弾)を落として行きました。当時は木造家屋だったから、すぐ油がちって、火が燃えていました。呉や福山にも落ちているので、次は広島に来ると思っていました。

 今の宇品から、兵隊が海外へ行っていました。だから、広島に爆弾が落ちたのです。それに相生橋の形がH型でわかりやすかったし、原爆ドームも目印になりやすかったのでしょう。

 私は当時学徒動員で、呉の寮にいました。呉の工場で休みなしで兵器をつくっていたんです。学生は日曜が休みなので広島に帰っていました。私も、5日は広島の自宅へ帰っていました。

「戦争のおろかさ」 ー初めて語る、おやじの被爆体験ー_a0033733_10254351.jpg 8月6日は、6時頃の汽車に乗り、呉の職場へ行ったんです。8時15分、呉まで爆風がきて、ピカーッと光りました。最初は何が起きたかわかりませんでした。皆実町に大きなガスタンクがあるので、それが爆発したと思ったんです。お昼ごろ、広島に新型爆弾が落ちたと知ったんです。その当時はニュースが無いので、どんな様子なのか全くわかりませんでした。広島へ爆弾が落ちた事を知り、私たち学生はすぐに広島に帰りました。

 広島に入ったら、何もなかったんです。本当に何もなかったんです。市内に入ったのが、たしか、2時ごろだったと思いますが、市内の中心の方から死人かと思えるような人がいっぱい歩いて来たんです。私はどうにかしてあげたかったんですけど、医者もいないし、薬も無い。助けたいけど何もできなかったんです。あまりにひどい状態だったので話したくないんです。
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 市内電車が焼けていたのをいっしょに行動していた友達3人と見ました。電車の中では人が焼け死んで、見たくありませんでした。そして、川に行ったら、死体が浮いていて、涙が出そうなのに、それを見なれてしまって、泣けなかったです。

 それから、どこか分からない所を歩き回りました。家が焼けていて、家族の事を知らせる板が立ててありました。

 大手町にある今の中電病院のセメントで出来た大きな水をためるものが有ったんです。その当時、それは各家で義務づけられていて、火事のときに、そこからバケツで水をかけるのです。その中に入っていたおばさんが「助けてくれ。」と叫ばれたので、友達といっしょの出そうとすると、「ズルリ」と皮がむけたんです。私たちはもう駄目だと思い、あきらめました。その事が今だに忘れられないのです。
「戦争のおろかさ」 ー初めて語る、おやじの被爆体験ー_a0033733_1027126.jpg
 その晩は、道路で寝ました。死体を焼くにおいは、とてもくさいのだけど、それさえも感じなくなるほど神経がおかしくなっていました。


 戦争はむごい・・・。戦争は罪のない人も殺されてしまう・・・。あなたたちは平和な世の中に生きて幸せです。今まで一度もしゃべった事のない話を今日しました。どうか私の気持ちをくんで戦争のむごさを後に来る人たちに伝えてほしいです。
 (挿絵は小学生が書いたものだそうです)


初め読んだときは、言葉も出んかった。それ以上に、こんな体験をしていた親父の事も知らんかったし、自分が同じ体験しとったら思い出しとーない思うた。
小学生によう話をしてくれたと思うた。

それよりなにより、親父が生き延びて、わしが生きとるんじゃという事を改めて思うた。

親父 ほんま ありがとう

8月6日 8時15分 毎年黙祷を捧げている
きのぴーでした(-人-)


by kinop-37p | 2007-08-06 08:15 | きのぴーの正体